神様は不公平ですよね? と思うことがあります 

私が健康に関して常々思っていることを5つ書きます。

ネガティブな内容になってしまうので、軽く読み流すか、スルーしていただいても構いません。

とりあえず、私の心身の弱点を書いておいた方が今後の記事を読みやすいのではないかと思い、「健康・趣味」カテゴリーの最初に紹介しますね。

誰でも何らかの健康上の悩みを抱えていると思うし、私にとっては悩みでも他の人からすれば大げさに思える内容かも知れません。

今回は、私が神様は不公平だと身をもって実感していることについて書いておこうと思います。

体が硬い

体が硬い

私は、自分より体の硬い人を見たことがないくらい体が硬いです。

フィットネスでヨガやダンスをしていますが、どのポーズも全然決まらないので、インストラクターのようにオシャレなウェアに憧れつつも目立たない地味な恰好で我慢しています。

ストレッチを毎日頑張れば絶対柔らかくなると皆さんおっしゃいますが、いやいやそういうのだって個人差があって、続けても続けても柔軟性が人並みにまで向上するなんてことはないわけです。

実際に私は、ストレッチを生活に取り入れて人より努力していると思うのですが、母親も体が硬いのでこれは遺伝によるのかも知れません。

大学時代に、本気でお酢を飲んで柔らかくしようとしたこともありますが、体育科の知人に「酢漬けにした魚の骨が柔らかくなるのと筋肉の柔軟性向上は無関係」と断言されて諦めました。

もし自分がもっとしなやかな体だったら、と何度も思いましたがこれは私の個性なのですね。

持久走が苦手

持久力がない

私は持久走が苦手で、すぐに心拍数が跳ね上がってなかなか戻らなくなります。

そんな私は、子どもの頃から持久走大会というイベントが大嫌いでした。

それでも毎年、私は何とか真ん中ぐらいで目立たないように走っていましたが、ビリの人が走り終えると皆なが拍手するという慣例にどうしても納得できなくて、小学生の教師に尋ねました。

私「なぜビリの人に拍手するのですか?」

先生「最後まで頑張って走ったからに決まってるでしょ」

私「頑張ったのは、ビリの人だけじゃありません。それぞれ能力が違うから、結果として速い人は一番になるし遅い人は頑張ってもビリになってしまう」

先生「あなたの言ってること、よく分からないわね」

私「だから、ビリの人にだけ拍手をするのはビリの人に失礼です。もし私がビリになって拍手されたら、皆なと同じように頑張っただけなのになぜ?と屈辱を感じます」

先生「さっぱり分からないけど、〇〇さんはあなたじゃないから大丈夫よ」

私は、持久走の場面になると必ずその時の小学校の運動場を思い出し、苦々しい気持ちになったものです。

自分がトンガっていたという反省もありますが、最終ランナーへの拍手は今でも少しモヤっとしてしまいます。

血圧が低い

血圧が低い

私の血圧は、いつも大体90/60ぐらいで、下が60以下のことも、上が90以下のこともあります。

測定する人に「低いね」と必ず言われますが、低血圧から深刻な病気に発展するリスクが少ないため、特に処置はありません。

そんな私は、妊娠して血圧が上がり、いわゆる正常値を経験した時にはじめて自分の低血圧を意識するようになりました。

血圧が正常値だった妊娠後期に、私はかつてない「快適さ」を経験したのです。

吐き気や頭痛、めまいといった不調を普通のことと思っていた私には、そんなだるさの無いスッキリした感覚は夢のようでした。

低血圧でなければこんなにラクで快適なのか!と驚き、そのまま体質が変わることを切望しましたが、出産後は体型が戻るより早く、見事に低血圧に戻ってしまいました。

これも私の個性なので受容するしかなく、特に吐き気が強い朝などは、時々台所にしゃがみ込みながら子どものお弁当を作ったりしました。

もし、あなたの血圧が正常値なら、それだけでラッキーだと思いましょう。

私は、血圧を上げる良いサプリが開発されたら真っ先に購入してあの快適さをもう一度体感したいので、医療関係者の方はどうか発明をよろしくお願いします。

右目が見えない

右目が見えない

私は22歳の時に視神経炎を患い、右目の広範囲に視野欠損があります

発症に気づくまで数日を要し、中央部の視野が残っていたことから診断がつきにくかったため、病名が確定するまでに1週間以上かかりました。

その間にも症状は進行して見えない部分が広がっていき、当時の私は絶望感でいっぱいでした。

結局、二つ目の大学病院で原因不明の視野欠損と診断され、ステロイド剤の服用や視野検査を行う途中で視野欠損の進行が止まりました。

今は、欠損部分が固定したまま定期検査も受けておらず、放置している状態です。

普段の生活に大きな支障はありませんが、暗い場所で物が見えにくかったり、3D映像が上手く立体的に見えなかったり、距離感覚の目測に狂いが生じたりして不便ではあります。

私は、視神経炎が進行している間は失明するかもしれないという恐怖にかられ、奇跡的に進行が止まった時、このまま何とか見えるならどんな努力も惜しまないと自分に誓いました。

その時のことを思い起こせば、全ての困難は乗り越えることが出来ると思えるので、視神経炎は神様の贈り物かも知れませんが、そんな贈り物はもらいたくなかったです。

ただ、親身になって心配してくれた親や友人、いつか失明するかもしれないという不安を一緒に抱えてくれている家族への感謝の気持ちは、自分の心に深く刻んでいます。

感受性が強すぎる

感受性が強すぎる

私は感受性が強く、自分がHSP(Highly Sensitive Person)ではないかと疑ってチェックtリストで確認したことがあります。

結果は、非該当でした。

当てはまる項目も多いのですが、物理的な刺激に敏感だったり五感が特に鋭いというわけではないので非HSPという結果でした。

とはいえ、私は全く非のない被害者が命乞いをしても殺害されたり、助けを求めながら虐待で死亡した子どもの事件、戦争やテロ、災害等の悲惨な現場などがいつまでも記憶に残り、思い出しては辛さを感じます。

理不尽な苦痛や憤り、無念さ、絶望、悲しみなどの感情に共感して動揺してしまうのです。

でも私は、自分の身の回りのことだけでなく知らない人や遠い国のイメージを思い描くのは、必要なことではないかと考えています。

なぜなら、HSP(繊細過ぎる人)のように、誰もが他の国の惨事を自分事としてとらえ、人の痛みを自分の痛みとすることができたなら、世界はきっと平和になるだろうと思うからです。

まとめ(自分は自分でしかない

今回は、私の心身の健康についてネガティブな話を読んでいただき、ありがとうございました。

私には、「神様は不公平ですよね?」と思っているような暗い面があります。

こだわりのない根っからの明るさや大らかさは、持ち合わせていません。

ですがこれが自分なので、ありのままを受け入れて個性として大事にしようと思っています。

「自分は自分でしかない」と腹を括った方が楽だし、人にも優しくできます。

自分を分かってあげられるのは自分だけなのです

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