me-time(ミータイム)のつくり方? それは考え方次第だと思う
最近、リラックスして一人で好きなことをして過ごす自分のための時間「me-time」に関する報道や記事が多いですよね。
確かに、分刻み、秒刻みの忙しい毎日を過ごしていると、こういうゆったりした時間が恋しくなります。
どうすればme-timeをつくれるのか、生活を見直したり工夫して自分時間を生み出した例が色々と紹介されています。
なるほど、コインランドリーで待つ間をme-timeにすれば、時間を捻出することなく自分だけの時間がもててリフレッシュ出来そうですね。
でも、自分のための時間は、そんなに工夫して創り出すものなのでしょうか?
そもそも毎日の生活は、あなたにとって義務的なものばかりなのでしょうか?
私は、me-timeを特別につくる時間だとは思っていません。
どういう過ごし方をすれば自分のための時間になるのか、それは人それぞれの考え方次第です。
今回は、自分がどんな心持ちで日々過ごしているか振り返ることで、毎日の暮らしをme-taimeに変えていく考え方について書いてみたいと思います。
頑張って時間をつくらなくても、me-timeはあなたの日常の中にすでにあると思うからです。
どういう自分でありたいのか
子どもの頃は、誰からも咎められずに好きなことをしている(ように見えた)大人に早くなりたくて、指折り数えるように時間が過ぎるのを待っていました。
大人になればイイコトがあると思い込み、子どもだからダメなんだ、子どもだから出来ないんだと時の流れをもどかしく感じたものです。
親からは、「夢見心地でいないで、もっと地に足を着けて現実を見るように」とよく言われましたが、私は何も考えず早く大人になりたいとばかり思っていました。
無謀にも、大人になれば輝かしい未来があって必ず幸せになれると信じていたのです。
なので、大人になってからは現実の壁にぶつかる度に、一つひとつこの思い上がった理想を修正することになりました。
そうした中で私は、何となく幸せになれるわけはなく、どういう自分でありたいかを具体的に思い描くことからはじめよう!と方向転換することにしました。
そして、「よく頑張ったね、と自分で思えるような私でありたい」と思ったのです。
そのために、自分は何をしているのか
どうすれば、よく頑張ったと自分が納得できるのかというと、子どもの頃のような夢物語ではなくリアルに努力する毎日しかありません。
朝ちゃんと早起きして、午前中は仕事と家事を半分片づけ、テニスやフィットネスに行き、午後の仕事と家事を済ませ、愛犬とお散歩をする。
そんな毎日ですが、仕事内容や必要な家事はその日によって違うし、友人とのランチや飲み会、旅行なんかも時々あって、規則的・定期的というわけではありません。
スポーツ選手のように明確な数値目標はないので、自分が良しと思えるかどうかが基準になります。
時々これで良いのかと振り返り、もっと出来たのではないか、変えた方が良いのではないかなどと反省したりしています。
出来たか出来なかったかは考えなくてよい
自分の生活を振り返るとき、出来たとか出来なかったという成果はさほど重要ではありません。
結果は、大体において他人との比較だったりその時の運によることが多いので、あまり気にないようにしています。
自己評価という最も厳しい基準で、なりたい自分になるためにどう頑張ったのか?と問いかけます。
そこで、頑張ったと正直に思えるなら、あなたの費やした時間は全部「me-time」です。
自分の気持ちだけを大切にしよう
自分の気持ちだけを大切にしてくださいね。
自己満足といわれるかも知れないけど、あなたの日々の努力は他の人には関係ないことです。
もし、こんな自分じゃダメだと思ったら、また明日からトライすれば良いのです。
貴重な時間を、有意義に過ごしたいですね。
まとめ(普通の毎日がme-taimeになる)
このブログは、とあるme-timeの報道に違和感をもったので書いたものです。
確かに、ほっとする一人の時間を作ってコーヒータイムというのがme-timeのイメージかもしれません。
でも、本来私たちは自分のために生きているわけなので、努力する時間も含めてme-timeと思えば良いのではないでしょうか。
me-time が自分のための時間なら、余暇とは別物のはずです。
自分が納得できる毎日を過ごせれば、「me-time」はあなたの日常の中にすでにあるのです。